■ソーシャル・ワークの歴史(2)■
体系化されたソーシャル・ワークは、「貧しい人々に対して誰が責任を持つべきか」というところから始まりました。また、歴史の中で誰の責任であるのかも変わってきました。政府か、社会全体か、はたまた個人の問題なのか・・・。

Social WelfareのSocialとは、「個人同士、個人とグループ、社会、そしてコミュニティーとのつながり」を指します。一方Welfareは、Well-beingとほぼ同義で、「福祉」を指します。その二語を合わせ、「人、社会の機能を高めていく。社会の中で、一人一人が可能性を伸ばせるようにする。」という意味になります。Social Welfareは、「organized system of social services and institution designed to aimed people(対象の人のための、体系化されたソーシャル・サービスとその機関)」と定義されます。よって、ソーシャル・ワーク(社会福祉事業)は、そのようなソーシャル・サービスを提供していくことを指します。

ソーシャル・ワークの歴史は、人と人との助け合いの歴史であり、人類の誕生までさかのぼることができます。古代ギリシャの哲学者プラトンは、社会が階級制度(リーダー、兵士、労働者)の下に成り立っていることを指摘しました。階級にはそれぞれ割り当てられた役割がありますが、同時にその間には超えることのできない壁もあることを指摘しました。また、イデア論でも知られるように、どこかに完璧な場所があるといい、リソースは人々に平等に分配されるべきだと訴えました。とても民主主義的な意見です。

時代を中世のイギリスまで進めましょう。貧しい人々の責任を誰が取るべきなのかが、ますます議論される時代になります。その当時は、教会、コミュニティーそして政府が、貧しい人々、家族や子供たちの責任を担うべきだとされていました。

(ここからは年表を使って、ソーシャル・ワークの変遷を見ることにします。)


1536年 ホームレス、物乞いなどを取り締まる法律ができる。ホームレスに対する刑罰が厳しくなる一方で、教会によるチャリティ(慈善)活動が盛んになる。そういった活動は、「Poor relief(貧民救済)」と呼ばれるようになる。
1601年 貧民救助法(Elizabethan Poor Law)が、イギリスで始めて制定される。

この法律によって、貧困者が三段階に区別されます。
   ・ Able Body Poor(身体障害のない貧困者): 奴隷や囚人を指し、一番問題が少ないとされた。
   ・ Impediment or Worthy Poor(身体障害者を含む貧困者): 慢性的に病気であったり、働くことのできない人々。多くは収容されていた。
   ・ Children(子供たち): 孤児や親が世話のできない子供たち。

イギリスの貧民救助法は、後にアメリカのソーシャル・ワークに多大な影響を与えることとなります。 
1. 助けの必要な人々に対し、政府が責任をとらなければならなくなった。
2. Able Bodyと規定したことで、働けるものに対して政府が労働を義務とすることができるようになった。
3. 子供の世話、家族の問題は、家庭の責任とすることができるようになった。

4. 経済的安定は、個人の責任となった。

産業革命が起こり、都市化がますます進みます。「職業」が生活への鍵となり始めたのもこの時代からです。 

1812年
1813年
アメリカで最初の精神病学の教科書が発行される。
(コネティカット州) 工場で働く児童労働者が全員、読み書き算数ができるようにすること、という法律が制定される。
1817年
1824年
(コネティカット州) ろう児童に無料の学校が初めて創設される。
(ニューヨーク) 連邦政府・州政府が、難民・移民のための保護施設を初めて設立する。
1829年
1836年
東部(ニューイングランド地方)に、ろう者のための保護施設ができる。
児童労働基準法(Child Labor Law)ができる。当時マサチューセッツ州では、工場で働く子供の40%が7歳から16歳であった。
1841年
1848年
1851年
1853年
ドロシア・ディックスが、精神病患者のための施設を作る。
最低賃金を規した法律(Minimum Wage Law)がアメリカで初めて制定される。
YMCA(キリスト教青年会)が創立される。
子供を守る会(Children's Aid Society)が設立される。
1865年 移民・難民、暴力の被害者、アフリカン・アメリカンに対し、衣食住の確保や教育を与えることを目的とした連邦機関(Freedom Bureau)が設けられる
1866年
1870年
地方に保健所(Municipal Board of Health)が設置される。
(マサチューセッツ州) 州慈善会(Board of State Charity)が、フォスター・ケアーにいる子供達への家庭訪問を始める。
1877年
1889年
慈善組織団体(Charity Organization Society)の創立。
ジェーン・アダムスによって、シカゴにハル・ハウス(Hull House Settlement House)が創設される。これは米国で最初期の隣保館となり、ソーシャル・ワーク・センターの役割を果たすことになる。(1931年にジェーン・アダムスは、ノーベル平和賞を受賞しています。)
1898年
ソーシャル・ワークの最初の専門学校ができる。慈善団体などで働く人々を対象にした夏期講習として、ニューヨーク市で行われた。後にこのトレーニング・プログラムがNew York School of Philanthropyとなり、現在はコロンビア大学ソーシャル・ワーク学部に至る。
1899年
1920年
1910年
少年裁判所が創設される。
労災保証金制度(Worker's Compensation Law)の制定。
母子支援法(Mother's Aid Law)の制定。
米国家族ソーシャル・ワーク協会(American Association for Organization of Family Social Work)が創立される。1995年に、国際家庭協会(Family International Inc.)に改名。
テネシー州ナッシュビルにあるフィスク大学が、アフリカン・アメリカンのためのソーシャル・ワーク学部を創設する。
1913年
1914年
1918年
社会保険制度(Social Insurance)が制定される。
全国的な黒人健康週間National Negro Health Week)が開催される。
米国医療ソーシャル・ワーカー協会American Association of Hospital Social Worker)が創設される。
1921年 米国ソーシャル・ワーカー協会American Association of Social Workers)が創設される。1955年に、全米ソーシャル・ワーカー協会(National Association of Social Workers)に改名。これは、現在ソーシャル・ワーカーにとって一番重要な団体のひとつです。 ソーシャル・ワークの職業倫理をはじめ、資格の発行などもNASWが行っています。

大恐慌が起こり、社会福祉サービスがますます必要とされるようになりました。また、ソーシャル・ワークが専門分野 として飛躍的に発展・確立した時代でもあります。20世紀にソーシャル・ワークの教育が大学レベル・大学院レベルで行われるようになり、プロフェッショナルの団体も創立されるようになりました。

1935年 フランクリン・ローズベルト大統領のニュー・ディール政策。ローズベルト大統領の右腕となり、手腕を振るったのはソーシャル・ワーカーのヘンリー・ホプキンスであった。
社会保障制度(Social Security Act)が制定される。必要とする者への責任は、政府が取ることになる。
1960年代 経済が完全に回復する。この時代の一番の社会問題は、貧困と不平等。黒人の公民権運動が起こったのもこの時代です。多くのソーシャル・ワーカーが、公民権運動に参加したといいます。
1961年 カソリック・アイリッシュで初の大統領、J・F・ケネディーが当選する。貧困者に対し、長期的な援助をすることを訴える。
1964年 ジョンソン大統領が、「貧困に対する戦い(War on Poverty)」を訴える。 メディケアー(老齢者医療保険制度)、フード・スタンプ(生活扶助者のための食料品割引切符)、サブサダイズド・ハウジング(生活扶助者のための住宅)などもこの時にできる。 ベトナム戦争の戦争責任を政府が取ることになる。
公民権法(Civil Rights Act)が制定され、アフリカン・アメリカンを米国市民であると規定する。また、公的施設・場における人種隔離を禁止し、差別撤廃法を制定。

アメリカでのソーシャル・ワークの発展は、慈善組織団体(Charity Organization Society)とハル・ハウスを初めとするSettlement運動が大きな役割を果たしました。(これらについては、別にお伝えしたいと思います。)

さて、最初に提起した問題、「貧しい人々に対して誰が責任を持つべきか」ですが、現在ではリソースを与えるのは政府の役割・責任だが、それを利用・活用するかしないかは個人の責任、と考えられるようになっています。よって、社会問題は、社会全体(政府、個人双方)の問題と言えるのかもしれません。